高校時代、私は課外活動として何らかの形で運動をしなければなりませんでした。なので、どうせならと思い立ってジョギングをするようになりました。最初は軽く週に3回ぐらいということにしていたんですけど、なかなか習慣という域には達しませんでした。でも不思議なことに、それを日課にしてやろうと思ったある日を境に、ついにうまく行くようになって、今も特別な事情がない限り毎日欠かさずやっています。
これは一体どういうことでしょう。なんでジョギングする回数を増やすことがうまく行くカギとなったのか?まあ、まずはなんでそれまではうまく行かなかったのかを解説しましょう。そうすれば答えは見えてくるはずなんですからね。うまく行かなかったのはズバリ、自分に逃げ道を残してしまったからなんです。いいですか?週に3回ってことはつまり、週のうちなら猶予ができてしまいます。毎日「今日やるかやらないか」を決めなくてはいけなくて、そしてやる時が回ってくる度に「明日に延ばしてもいいかな」という誘惑も振り払わなければなりません。その誘惑に一度負けたら、悪循環に陥ってダメになるのがオチです。
それに比べて、いっそ日課にしてしまえばそういった精神的負担を管理する必要がなくなって楽になります。むしろ私の場合、日課になった途端にそれを破るほうがめんどくさくなったのです。これが惰性というものの恐ろしくも素晴らしい力です。それから今まで、私はこの原理を何度も利用してきました。
思えば、自分の言語学習のやり方も当てはまります。というのは、日本語の勉強を始めてすぐ、私は日本語に没頭するために英語のコンテンツをほとんど捨てていたんです。それは、ジョギングの件みたいに、中途半端なやり方で誘惑に振り回されるより、その縁を思い切って断ち切った方が楽だったし私にはできたからです。受け売りですが言ってみれば、環境がすべてです。環境が全部日本語なら、習得しない方がおかしい。それしかやることがないんですからね。これも立派な惰性です。
その他に以下のような使い道もあります。
- なかなか始められないレポートを始めるには、まず一文だけを書き出せばいいです。それが終わればやめてもいい、と自分に言い聞かせながらね。一文とは言え、書くにはワープロを開いたり参考書を調べたりノートを出したりしなければなりません。書いた後、そのせっかく作り出したワークスペースを取り壊すのがもったいなくてそのまま書き続ける可能性は大いにあります。
- スマホの見過ぎを防ぐためには、あえて手元から少しだけ遠くに置いておくといいです。手に取りやすければやすいほど見るので、その少しばかりの「取るのがめんどくさい」という気持ちを起こしてしまえば、少なくとも前よりは見なくなるはずです。
惰性は役に立つこともあれば、悪い方向に向かわせることもあります。また言語学習の話に戻りますけど、私が所属する言語学習者のオンラインコミュニティでは、よくある誤解があります。母語字幕で外国語の映画やドラマをたくさん見たらその外国語ができるようになる、という誤解です。もちろんインプットとして外国語のものをたくさん見るに越したことはないが、母語の字幕が付いてるとどうしてもそればかりに気を取られて、肝心の音声は右から左へ通り抜けてしまうのです。何しろ人の脳というのはいつも楽になりたがるものですから、近道があれば意思と関係なくそれを使ってしまいます。
要するに、物事をうまく運ぶには、いい惰性が働くような状況に自分を誘導することと、悪い惰性が働くような状況を脱出することが秘訣です。気力・意欲・やる気・根性・我慢等々、つまり精神力によるものはどうしても消えたり冷めたりする時が来るのです。一方で、安定していて簡単には動かないのが惰性というものですね、良くも悪くも。それを使わない手はないと思うし、参考になればとも思って書かせていただきました。皆さんにいい惰性があるように祈っています。