あなたの思考は何語?

この投稿はJournalyにも掲載させていただきました。

「どうやって第二言語で考えられるようになるのですか?」

「バイリンガルはどっちの言語で考えるのですか?」

この二つの(嫌になるほど)よくある質問の裏には「思考は言語でするものだ」という前提が潜んでるんですが、本当にそうなんでしょうか。

皆さんは、単語をど忘れしたことはありませんか?頭の中にその単語の意味ははっきりと浮かび上がってきてるのに単語自体がどうしても思い出せない。この現象は、「脳内では言葉の意味は言葉そのものから独立している」ということを証明しています。

もちろん、このことに気付いている人は既にいました。心理学や言語学ではこの心の中の、いわば「意味そのもの」でできてる思考はmentaleseと呼ばれています。日本語では「心的言語」と訳されているそうです。思考はまずこの心的言語でするものであって、そして言語を使うこととはつまり、言語を心的言語に、心的言語を言語に翻訳することなのです。

言語学習者にとってこの事実はいろんなことを意味します。

言語を習得することとは新しい心的言語の表現方法を習得すること

言語とは結局、心的言語を伝えるための道具に過ぎません。よって言語を習得するということは、その言語特有の心的言語の表し方を身につけるということです。翻訳に頼りすぎてはいけないのは、だからです。不便な上に、翻訳することでその言語の本来の姿を翻訳に使った言語の形に曲げてしまう恐れもあります。目指すべきは言語を心的言語に直接結びつけることなのです。翻訳が全面的にダメというわけではないんですが、目的がその先にある心的言語にあることをお忘れなく。

多言語ができるからって翻訳ができるとは限らない

マルチリンガルが特に誤解されやすいのがこれです。翻訳というのは言語と言語の間を行き来することであって、複数の言語を別々に心的言語に結びつけたところで必ずしもそれができるとは限りません。世界中の翻訳者や通訳者もさぞかしなめられて困っていることでしょう。

翻訳ができないからって多言語ができないとは限らない

厳密にはこれは前のポイントと同じですけど、視点を逆転させることで得るものがあります。初心者が翻訳に頼りがちなのは周知の事実でしょうけれど、翻訳にもう頼らなくてもいい学習者も実は、翻訳を使ってしまうことがあります。なぜかというとそれは、学習者には今まで母語でしか心的言語を表したり理解したりした経験がなく、別の言語を介してそれができるようになってもいささか信じられないからだと考えられます。そのせいで、ちゃんとありのままで理解できた言葉を理解した気になれず、しなくてもいい翻訳の確認を念入りにする癖がつく、というわけです。慣れていって自信を持てるようになれば勝手に直るので特に気にする必要はありませんが、面白い現象だとは思いませんか?

まだ色々あるかもしれませんが今回はこの辺にしておきましょう。皆さんにぜひ一度心的言語を意識して考えることをお勧めします。言語学習者じゃなくても、思考の本質を観察するというのはなかなか興味深いです。

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